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常に何かしていると何もしないことが苦痛になる

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昨日あまり体調がよろしくなかったので仕事をほどほどのところでストップして、まったり過ごすことにしたのですが…無理でした。

まあ仕事はせずにインプットに専念したものの、一日を無駄にした感が半端なくて、これやったら多少体調崩しても仕事しときゃよかったなあと思いました。

大学の時はインプットしかしてなくても何日だって過ごせたというのに、今では気持ち悪くてしゃあない。

仕事すればしんどいし、しなけりゃそれはそれでしんどいし…という、まあなんて人間は厄介な動物なんやろうとか平凡なことを思ったりして、そんな無駄な一日を過ごしました。

 

「休む」という概念を意識すると、一瞬は楽になってそのあと再開するのがひどく億劫に。こんなことなら「休む」なんて考えない方が楽なんではないかと思います。

そう考えると、何かひとつのことを何十年もやって、その休憩として違うことをやる、なんてことは不自然に思えてきます。

色々なことをやって、仕事中の意識も休憩の概念もなく一日をぎっちり詰めたほうが相乗効果が狙えて楽になるのではと。

 

私には「書くこと」という指針はありますが、「書くこと」だけやっていく気はありません。

今までと違うことに手を出すと途端に「ブレてる」なんて批判する人がいますが、はたから見たらバラバラでも本人の中ではきちんと線でつながっている場合がほとんどでしょう。

なぜなら何もないところからそれをやりたいと思った訳ではないから。

だから「何やってるかわからん人」を「適当に生きている人」とみなすのは早合点です。

「時給で働いてアホやなあ、ま、私は起業したから関係ないけど」とかそういうのがアホです。

まあ1社にしがみついてほんまに適当に生きてるのはほんまにアホでしょうけど、ひとつのことを人生のテーマとしてやり続けることが偉い、起業したから偉い、管理職だから偉い…そういうのは関係ありません。

むしろ同じことずううっとやってはる方が「大丈夫か?」と心配になります。

 

ということで純粋に、その人が今何をしているか、昨日は何をしたかを評価したいですね。

結果に目が行きがちですが、その結果に費やした膨大な時間や労力、思考プロセスも評価対象にすべきではないでしょうか。

そうすれば世界はもっと優しくなるはず。。