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好きなものと創作物の膨大な蓄積が年齢とともに噴き出てくる

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24歳と25歳、たった1歳差の埋まらない溝が25になった途端に発生しました。来月で1ヶ月経とうとしていますが全然埋まりません。

前回の記事で「平凡な言葉を吐いて許される年齢ではない」と書きましたが、それは言葉に限らず。

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「知らんわ」「わからへん」「考えたこともない」では許されない事を自覚して毎日焦っています。何かしら自分なりの回答をひねり出してきちんと答えられるようにならないと、と思っています。

しかし年齢を重ねるほど今まで蓄積してきたものが噴き出し、無理に飾り付けていたものが無意味なものとして剥がれ落ちていく感覚がしますね…。例えるとしたら、解けない毒を体内に残しながら体の全細胞が1年で入れ替わるのと同じ感じ。いやあ焦ります。なんか常焦ってんな私。

 

吸収・創作の量が年齢とともに噴き出る

で具体的に何が噴き出るかというと、膨大な読書量と音楽や美術品などの吸収、そこから生み出される膨大な生産物です。センスはそういった膨大な経験の量次第でどこまでも伸ばせる希望があると思います。

 

そしてただ単に自分の楽しみのために吸収した「点」は、ちゃんと「線」として噴き出るのでしょう。

しかしそれは量が多い場合のことであって、5分でもあれば「点」の吸収か生産に捧げねば到達できんのやと思います。

ええもん見たら「すごい」と思った後に「私も作らな!」と思ってとても及ばないものを晒す、その繰り返し。

 

あと天災や事故などでいつ人生が終わるか分かりませんし、「点」を吐き出せるだけ吐き出しておかないととも思いますね。

というのも、なんだか今までにないくらい地震が来そうな気がして何日もザワザワしているのですが、気のせいですよね?気のせいであってくれ…。しかしいつ死んでも大丈夫なようにはしとこう…。

 

好きなものをバーストさせよう

「答えがない問い」と死にたくなるほど向き合えるかどうか、実用的でないものをどれだけ吸収できたか。

そこから噴き出たものがその人の価値判断の基準になる時代がもう来ている気がします。

 

ちょっとシビアな記事になりましたが、簡単にまとめると好きなものにマックスで時間を使おうというお話です。

やりたいことと食うことの溝が埋まらないことに悩むのはただの自己欺瞞にしか過ぎないと(わりと前に)気づきました。最初の3年くらいは食えなくても仕方ないと割り切りましょう

1歳の溝も実は勝手に思っているだけで実際は存在しないものなのかもしれません。呪縛が解けるほど邁進いたしましょう。