「明日死ぬつもりで今日を過ごすこと」の具体性
昨日の記事はHSP(Highly Sensitive Person)の不遇みたいなことについて書いたのですが、めちゃくちゃダサい記事だったので下書きに戻しました。
「じゃあどうするの?」が大事みたいなことも書いたのですが、この言葉は自分に突きつけ続けるべきですわ。
そしてビタミンを注入したくてなんとなく見城徹さんの本を何冊か読んでいたら、
不遇やどうしようもないことも全部ネタや糧にしたもん勝ちやなあと改めて思い直しました。
さて、ウダウダ言っているうちに今日も一日が終わろうとしています。
「明日死ぬつもりで今日を過ごすこと」というフレーズは、昔の偉人もよくわからない自己啓発書の筆者も言っています。
このフレーズがから考えられることは、
- 「もう死んでもいいや」と思った時に事態は急変する
- ギリギリを歩けば馬鹿力が出る
- 人生は短いから1秒たりと無駄にするなということ
などでしょう。
では実際の生活に落とし込んだら?
- 「もうこれ以上良いものは作れない」というところまで仕事をガチでやる
- 「さて、死にたくなるタスク量だけど、死にに行くためにさっさと片付けますかあ」的なことをナチュラルに考えられるようになる
- 明日は突発的な仕事が入って1日が潰れるかもしれないと思いこむ
- 突然の事故などで、家族、自分の師匠、上司などをかばって命を落とす覚悟をもっておく
- 見られたら恥ずかしい日記やメモを処分しておく
など、まあ言葉にしたら一気にショボくなる「明日死ぬつもりで今日を生きること」もありますねえw
しかし「明日死ぬつもりで今日を生きること」はほとんど思い込みで成り立ちます。
その思い込みを本気でやれた人が成功していくのでしょう。
私の場合は、書きかけの記事を置いて一日を終えることはしないようにしています。
そして今日1記事でも完成させていれば良いです。
あなたなら、何をすれば一日を終え、今日で人生を終わらせることができるでしょうか?
この考え方は「やりたいことを見つける」ことにもヒントとなる問いです。やりたいことも大抵思い込みで見つかりますからね。