時間制限なくズルズル会うのはもうやめにしませんか
たとえば友人と会う約束の後で仕事が残っているように、時間のリミットがある場合。
「せわしなくてごめんね」と気を遣うことが多いんですが、これってあんまり意味ないなーと気付きました。「何で謝ってんねやろ」と。
時間制限があって当たり前
「丸一日フリー」「今日は何時でもOK」って確かに気楽ですが、あんまりメリットがないです。創作には欠かせない時間の余裕ですが、誰かと会う目的にはあまり必要のない自由です。
最悪の場合、ダラダラ時間と体力を浪費するだけで、言うてしまえば「何のための一日やったんか」という虚無感が残ります。
仲のいい女友達や恋人とたまーに1日たっぷり遊ぶくらいがちょうどいいですねー。
「時間いっぱい遊んで当たり前」より「時間制限があって普通」 を好みますが、前者派の人も多いのが現実。
時間があるからといってその人に目一杯時間を使う必要もない
「時間あるなら遊んでよ!」って言葉が嫌いでして、なぜあなたにフルタイムで時間を使わなあかんの?って思ってしまうんです。
上述のようにめっちゃ仲いい友人や恋人なら嬉しいですが、普段さほど親しくしていない人になぜ突然丸一日も使わなあかんのや?と。
数年前に「退社後に本も読みたいし映画も見たい、音楽も聴きたい。だからいつも時間がない」と言ったら、「それは時間があるって言うねん」 とツッコまれたことがあります。
自分の好きなことをやるのは「時間がある」ということになるのか?自分の好きなことを目一杯やる時間かて立派な予定だと思いますけどねえ。。
私的には「週末は一日中漫画を読みたいからごめん、遊びにいけない」でも全然アリです。むしろハッキリ言うてくれたほうが納得できます。
ノープランでズルズル会うのはもうやめにしませんか
時間制限のあるほうが濃い時間を過ごせます。これは人に会うことだけでなく、日常生活のあらゆることに対して重要です。ミニマリズム!
なので私も「せわしなくてごめんね」「最後までおれんくてごめんね」なんて気遣いはもうやめにします。丸一日一緒にいることと優しさはまた違うことなので。
これで2018年にやらないことリストがまた増えました。
ノープランの1日に一人残されるのが嫌なら、誰かに時間を使ってもらわなくても一人で何とかできるようワンプランあるスケジュールを組みましょう。