ログれた日は充実していた日
写真を一枚も残せなかった日はめちゃくちゃ後悔します。
そしてそんな日の夜は、悪あがきでフォトジェニックな食べ物を買いに行ったりムダにデスクを撮ってみたりするけど、やっぱり日中や仕事終わりに何もないとその日が無かったかのように思えてしまいますね。
写真でなくてもいい。スケッチでも文章でもスクラップでも、今日・この瞬間をとにかく記録したいんです。
記録しなかったら無かったことと同じですからね。大事な人と食べたごはんや共にした空間が記憶の中で永遠に生き続けるのであれば、ログなんかしませんよ。
というのも時間や日々のふとした無がめちゃくちゃ怖いんですよねえ…。
余白を大事にしろってどっかで書いたけれど、正直記憶はログで埋め尽くしたいです。
もともとはブログも紙の日記もツイッターも、言いたいことが言い切れないかわりに始めまして。
わたしは昔から言葉足らずで、たぶんワード1行分の量の言葉を話せない、「しゃべるのがニガテな人」でございます。しゃべるはしゃべるし反応はするけど、そのせいでどうも言葉がキツめに聞こえてしまうようでだいぶ損をしてきたなあと。。。
でも文章なら、やっぱり誤解はあるだろうけど言い切れて自分に自信がもてます。
しかもどんどん書くうちに、しゃべるほうもまだ問題はあるけれどだいぶマシになりました。ダラダラ話さない長所を活かして、的確な言葉を使う・もしくはインタビュアーにまわりつつ言いたいことをはさむようにしています。言葉選びがもっとうまくなればこの悩みとも卒業できそう。
それでもログは続けたい。
どんなにしゃべっても音声はその場で消えてしまい、よっぽど記憶に残らなければ永遠に失われてしまうものです。
そしてこのログによって何十という記事を書くことができました。
きっと充実した日というのはブログの記事がすんなり書けた日であって、すんなり書けたということはログすることがあった日ということなのでしょう。
一日をほんわか生きると晩書くことなくて苦しむねんな
— むんと (@kkomund) 2017年5月29日
ここの記事が更新されない日でも、他メディアやモレスキンにはログっているので悪しからず。